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数年前に書店で立ち読みした本の中で、某外国の霊感者と日本人との質問を交えた対話がありましたが、矢張り、「日本から救世主が現れるであろう。目下その人物はカーテンの後ろに隠れて藻掻いているようだ。別に総理大臣になるというのではなく、可成り権力を行使して改革を成し遂げていくようだ。」などと言っておりました。同じことは、何とロシアの文豪のトルストイも、また中世のノストらダムスや、二五〇〇年前の釈尊も言っていたようです。この救世主像を巡って、今や多くの方々が、自ら名乗りを上げたり、詮索し始めたようです。当方も周囲の霊感がある誰々ではないかと思ったりもしておりますが、矢張り、聖心先生も申されていたように、聖心先生と何らかの心の波動が通じた者のようで、聖心先生に心を寄せてこられる方であろうと思っております。
当方自身は霊感もなく平凡な人間ですから、とてもそのような大それた役割を演じる才能はなく、恐らく当HPや、以前に送付した資料から、聖心先生のことを知って心を寄せてこられる方であろうと待望しております。救世主と言うからには、矢張りたった一人の人物であろうと思いますし、決して集団や勢力ではなく、ましてや烏合の衆ではないはずです。恐らく、真の救世主が現れる前に、多くの者が名乗りを上げたり、担ぎ出してくるくることでしょう。そこには様々な方々も含まれるでしょう。実際、救世主というのは殆どの日本人には嫌悪や反発を感じて、全く理解できないように思います。
古代から預言を信じるユダヤ・キリスト教の西洋人とは異なって、人間皆が仏であるとする仏教の宗徒が殆どの日本人には、救世主なんてものは存在しないし、考えられもしないと言うことでしょう。あっても何処か金銭をばらまいてくれるぐらいの物質的金銭的な救済者としての存在でしょう。他方で、奇跡を起こして、人々に脅威や恐怖を与えて、跪かせるような独裁者のような西洋人が待望する救世主像とも大きく異なるもののように思います。既に、某人物の観察では、西洋人が待望しているものとは大きく異なった概念のものであり、これまで、誰も想像し得なかったものであろうと指摘しております。即ち、キリストやジャンヌダルクやヒットラーなどのようなものではないということでしょう。
正に、先生が「多くの国民が知らずの内に現れて、そして後になって、彼がそうだったのかと気付くものであろう」と言うことでしょう。即ち、自ら名乗りを上げたりするような売名や打算的なところからは決して誕生してこないと言うことでしょう。現在の日本人では、バカ騒ぎのパフォーマンスに惑わされているのが殆どであり、矢張り、聖心先生も指摘されていたように、外国の方から感じ始めて指摘してくるものでしょう。
確かに救世主と言うからには、単に篤実温厚で品行方正の人格的に格別に優れているだけではなく、また精神的訓話ぐらいの美辞麗句では済まないでしょうし、更には特別の手品や奇跡や魔法・魔術を起こして行くものでもないでしょう。矢張り、実質的に様々な具体的な改革を皆が納得する形で真理に乗っ取って提示できる人物ではないかと思います。単なるその場限りのパフォーマンス的甘言を弄する者ではないでしょう。
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