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まずは、聖心先生も最後に電話の奥で、「大変な時代が来るからそのための準備をしておくように」と遺言として言われたように、世の中が騒然となって大きく破綻していく中で、日本人自身が現在の国民性が大きく変革されていくことが必須ではないでしょうか。未だに、最高学府出とかの華麗なキャリアがチヤホヤされて、その経歴や門閥、財産、社会的地位などに右往左往している有様では、またキャッチフレーズだけで中味無しのパフォーマンス的選挙行動に惑わされているようでは、現れても全く気付かないで終わっていくことでしょう。
既に、真の神仏による邪念波動の淘汰が始まっているものと思いますし、国家的指導者を始め、多くの者がその神仕組みにより知らずの内に行動を余儀なくされているように思います。その意味では皆が真の救世主が登場するように、何らかの役割を担わされて動かされているようで、即ち、国民の意識変革に向けて、一定の誘導し牽引する役割を果たすように仕向けられているように思います。某権威ある方も、恐らく最後に、国民に向けて、真の救世主を宣伝し宣告することの役割を担っているものと思います。
なお、以前の当方ならば、何事も修行である故に、殆どの場合、誰にでも下手に出て屈従に甘んじていたものですが、最早、「黙れ」などの見下すような言動、管理支配するような抑圧的姿勢に対しては、命令されるように、相手の意に添って「黙って去る」ことしかありません。そんな邪念波動の蔓延する中に何時までも留まることは有り得ません。そこまでして心魂を錬磨していく必要性も感じませんし、相手に妥協して嫉妬や妬みの中に身を置くことは良くありません。別に相手と喧嘩し対立するわけではなく、言葉の猛毒は決して飲まないと言うことです。そんな相手を受け容れてそのまま従うという次元のものではありません。邪念を遮断し廃絶し捨象するということです。不思議とそうした思いきった邪念との決別の行動を取ることにより、自分自身が大きく浮上し飛躍して行くようにも思います。
これこそ、聖心先生が言われたように、「来る者拒まず、去る者追わず」の真理でしょう。誰でもに付和雷同してして行くものではありません。もっとも表面的には柔和に妥協的に対処することは必要ですが、心の奥底では、邪念との真剣な峻別、識別が必須でしょう。それでないと俗世間の妄説、虚妄、欺瞞に感染し、真理とは縁遠いものに堕落していくことになるでしょう。これでは単なる世渡り上手の善人(良い人)でしかありません。
世間の悪意、邪気、狡猾、虚構を洞察し、単なる天真爛漫なナイーブさを大きく乗り越える努力も大切ではないでしょうか。もっとも、心が堅固であれば、神仏が加護され守護されて下さるもので、余り大上段に身構えるべきものでもありません。逆に無理に過剰に意識するところに、心の隙が出来てくるものであり、その辺の心魂の在り方において、実に臨機応変、縦横無尽、天衣無縫、自由奔放、変幻自在、融通無碍に対応することが大切といったところでしょう。これぞ先生も言われたように、何事にも囚われない大宇宙と一体となった中道、中庸の心というものでしょう。また仏の心と神の魂とを融合させていくこと、正に仏道と神道との融合が大切かと思います。
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