|
|
私は入信後七年ばかり、椿神社で修行しておりましたが、行満大明神のお膝元という事で、日本全国から行を積んだ行者や、霊能者が集まって来ていました。この人達が又、畜生死霊魂を上げ、他の者は狐だの狸だの……もう話を聞くのもうんざりでした。
或る時たまりかねた女行者が、「ここは動物園かぁ」と、大声を上げたのを覚えています。宮司は更に大変でした。全国から引っ切り無しに、宮司に一目合って、自分の所見を話したい、という(ピンからキリまでの)大行満や大霊能者が面会に来るのですから、たまった物ではありません。御自分の所の弟子達も動物園だし……と、同情を致しました。
宮司は、心霊の世界に白け切っておりました。
或る日私は、宮司と二人きりに成りました。その折り、「今なあ、何々さんが来ていた。」僕は「嘘だー」と言ったら、土下座して謝っていった。「僕は、嘘はつかんぞ」と断固たる姿勢で仰いました。そして以来、実践に溝進されました。
私は、宮司がおっしゃる「嘘」の意味を適確に受け止めました。勿論、何々氏が嘘を仰るはずはございません。
宮司は、あの苦しい死の床にあってすら、嘘をつかないという姿勢を貫かれました。宮司は、この凄まじい汚濁の現世を平和にしようという、大目的のために魔界も、魔神も、へいちゃらで使われました。私は、そんなスケールも、威力も有りませんから、只感嘆して見ていました。凄い方でした。
私はそんな頃、天体をやっている松浦さんという、天才的な老女と交流するようになり、自然神の御働きが、どのようなものなのか体得していきました。
私が満五歳にも満たない幼女だった頃、父は、肩からカメラをぶら下げ、私一人を連れて山野を歩くのが好きでした。(父は早稲田の経済出身ですが、私が末っ子ですから、父の学生時代にはまだ大隈さんが学長でいらっしゃいました)
父は歩きながら幼女の私に向かって、いかにも嬉しそうに語りかけてきました。「自然はいいですね。自然はいいですね。自然は嘘をつきません」私の小さな頭の中にその父の言葉は刻印されたように残りました。
人の数だけ小説は出来るといいます。同時に人の数だけ雲線は在ります。神仏霊幽界の錯綜とした物凄い世界を見るにつけ、この世界を作ったのは人間どもだと痛感致しました。私は絶対に嘘の無い大自然の真理を求め続けて宗教という霊団を断ち、様々な雲線を切り、単純化し、更に単純化していきました。日蓮宗の霊線も断ちました。
大自然神との交流をしていた私は宗教哲学など人間のお遊びにしか思えませんでした。
私は、ビッグバーンから始まる宇宙の成立ちを知ろうと、分かりもしないのに素粒子だのアトムだのと、その類の本を読みました。そして「宇宙の御意思は、万物を生かす、それが根本なのだ」と気づきました。
戸松先生の天皇論にめぐり合い、理路整然とした宇宙法則論を知ったのは、そんな頃でした。
「自然は嘘を言いません」父の言葉を今一度思い起こしながら、戸松先生に御会い出来た事を神に感謝しております。
|
|