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メルマガです。

 投稿者:匿名  投稿日:2004年 2月18日(水)14時44分33秒
  そろそろ、日本列島に天と地のシナリオの答えが、明るみになります。
どんな、歴史が覆されて、隠されてきた世界の物語と神話の世界の最終章が
この日本列島に新しい風なり、西の都と東の都のかごめかごめも、無難に通れる事ならば、
この世の取次ぎは、全てが繋がる事で、この地球の進化と淘汰は、無事に成功するでしょう。

天の法則に、従って五色人は、この先、どんな新しい文明と、人種を携えて行かなければ
ならないのでしょうか・・・。
皆様は、五色人の中のどれに、値しますか・・・。

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2.【古代からの宗教の改革への展望】の感想を交えて

 投稿者:某会会長 S K  投稿日:2004年 2月17日(火)00時40分19秒
   私は入信後七年ばかり、椿神社で修行しておりましたが、行満大明神のお膝元という事で、日本全国から行を積んだ行者や、霊能者が集まって来ていました。この人達が又、畜生死霊魂を上げ、他の者は狐だの狸だの……もう話を聞くのもうんざりでした。
 或る時たまりかねた女行者が、「ここは動物園かぁ」と、大声を上げたのを覚えています。宮司は更に大変でした。全国から引っ切り無しに、宮司に一目合って、自分の所見を話したい、という(ピンからキリまでの)大行満や大霊能者が面会に来るのですから、たまった物ではありません。御自分の所の弟子達も動物園だし……と、同情を致しました。
 宮司は、心霊の世界に白け切っておりました。
 或る日私は、宮司と二人きりに成りました。その折り、「今なあ、何々さんが来ていた。」僕は「嘘だー」と言ったら、土下座して謝っていった。「僕は、嘘はつかんぞ」と断固たる姿勢で仰いました。そして以来、実践に溝進されました。
 私は、宮司がおっしゃる「嘘」の意味を適確に受け止めました。勿論、何々氏が嘘を仰るはずはございません。
 宮司は、あの苦しい死の床にあってすら、嘘をつかないという姿勢を貫かれました。宮司は、この凄まじい汚濁の現世を平和にしようという、大目的のために魔界も、魔神も、へいちゃらで使われました。私は、そんなスケールも、威力も有りませんから、只感嘆して見ていました。凄い方でした。
 私はそんな頃、天体をやっている松浦さんという、天才的な老女と交流するようになり、自然神の御働きが、どのようなものなのか体得していきました。
 私が満五歳にも満たない幼女だった頃、父は、肩からカメラをぶら下げ、私一人を連れて山野を歩くのが好きでした。(父は早稲田の経済出身ですが、私が末っ子ですから、父の学生時代にはまだ大隈さんが学長でいらっしゃいました)
 父は歩きながら幼女の私に向かって、いかにも嬉しそうに語りかけてきました。「自然はいいですね。自然はいいですね。自然は嘘をつきません」私の小さな頭の中にその父の言葉は刻印されたように残りました。
 人の数だけ小説は出来るといいます。同時に人の数だけ雲線は在ります。神仏霊幽界の錯綜とした物凄い世界を見るにつけ、この世界を作ったのは人間どもだと痛感致しました。私は絶対に嘘の無い大自然の真理を求め続けて宗教という霊団を断ち、様々な雲線を切り、単純化し、更に単純化していきました。日蓮宗の霊線も断ちました。
 大自然神との交流をしていた私は宗教哲学など人間のお遊びにしか思えませんでした。
 私は、ビッグバーンから始まる宇宙の成立ちを知ろうと、分かりもしないのに素粒子だのアトムだのと、その類の本を読みました。そして「宇宙の御意思は、万物を生かす、それが根本なのだ」と気づきました。
 戸松先生の天皇論にめぐり合い、理路整然とした宇宙法則論を知ったのは、そんな頃でした。
 「自然は嘘を言いません」父の言葉を今一度思い起こしながら、戸松先生に御会い出来た事を神に感謝しております。 
 

1.【古代からの宗教の改革への展望】の感想を交えて

 投稿者:某会会長 S K  投稿日:2004年 2月17日(火)00時41分18秒
   「天皇論」との出会い                某会会長 S K

 神仏に開眼してから四、五年後の事です。
 私は、或る有名なT氏(自称霊覚者)の講演会に参りました。講話も殆ど終りかけた頃、.私はT氏の前世であろう人を見ました。氏の背後霊とも言える人です。
 「霊能者なんて、畜生死霊魂からの通信を、本当の神と思っているのだ」と言う様なお話が多く、「自分は違っているのだ」という事でした。
 其の氏の、前世の姿を拝見したとたん、氏の留まる事を知らない講話がピタリと止まってしまい、後は尻つぼみで解散でした。
 又、名古屋の公会堂を貸しきって、御浄めと、御話をする、G氏の会にも参りました。
 常に宇宙と一体なので、【私は宇宙です−という有名な方でした。合気道のU先生とも仲の良い方でした。
 お清めが始まると、清めている霊が見えてしまいました。私が見た途端、お清めが止まりました。そして御気分が悪いという事で、奥へ入ってしまわれました。その方の御本も御話も、畜生死霊魂を悦んでいる霊能者達の事が多かったのです。
 このお二人は共に純粋で、人類を救済しようと熱血を燃やして御本を出し、講話をしていられた御立派な方達です。
 私は、御二人を中傷するとか、批判をしようとか、そんな底辺の想いなど微塵もありません。只、畜生死霊魂等という御話が、【古代からの宗教の改革への展望】に書いてありましたので、遠い昔を思い出したという事です。
 私は、このG氏と、生長の家の谷口先生と、御友達の関係でいらしたO氏に御目にかかった時、G氏の御浄めにああいう物が働くのは、彼の生活に在る物が働き……
 氏を傷つけたくないので、どうもうまく書けませんが、要するにG氏が公会堂に入場して来られた時、私は或る事を察知しました。その事を、それとなくO氏に御伺いしてみると、氏は具体的に、その事を実証した形で御話して下さいました。
 このO氏という方は、『石に天照大神の御霊を入れ、世界中の土地に埋めよ』という御神示を戴き、年中海外を歩いておられました。近年、どんどんと日の光が変化している事を思うと、この方も、やはり地球浄化の一役を支えてられたのだなあと思います。 
 

一言、感想を述べさせていただきます。

 投稿者:匿名  投稿日:2004年 2月 6日(金)23時36分48秒
  一言、感想を述べさせていただきます。

○拝復
 いつもながら早速ご返事を頂いて、不思議と心が和み暖まるものを感じます。もしかしたら真言宗の御信者の方でしょうか。真言宗の宗祖弘法大師の心魂は日本が産んだ世界的に偉大で崇高なもので、信者の方にも伝わっているものと思います。当方も色んなことで殆ど誰にも相談することもなく、何時も自問自答を繰り返している毎日です。

●当方、確かに真言宗の僧に知り合いがおりますが信者ではありません。弘法大師ご自身の生き様に共鳴し、即身成仏の心境に追い込まれた当方の経験から密教に共通した世界を持っているかも知れません。過去に体が極度に衰弱し、殆ど横になった状態で天に戻るか否かの判断を問われた時期がありました。輪廻する必要の無い状態を自覚していたころです。しかしながら地上に生きてなすべき多くの課題解決を自らの天命として確認して以来、現世での活動にむけ身体の蘇生期間がしばらく続き今日まで来ています。今まで貴殿と同じ様に誰にも相談出来ず、ただひたすら天に祈り求め、涙の日々が続いていた様に思います。

○ 真言宗はその教義内容の是非は兎も角、矢張り、宗祖の弘法大師空海の崇高な心魂により、多くの信者達にその精神が知らずの内に伝承されて、信者の多くが皆博識で温厚で誠実さがあるようです。日本が生んだ世界的な偉大な心魂を有した聖者こそ弘法大師であります。ただ、現在行われている護摩焚きの加持祈祷は邪道であり、特に空け石の上を歩くなどは、無理、我慢、苦痛の心魂を逆に醸成しかねません。もっとも、焼け石の上をあるようなことや、滝行や水行にはある程度、苦痛を和らげる秘訣があるようです。

●今や弘法大師のご意志は地に落ち、形骸化している様に思います。今、弘法大師が蘇るとしたら全く別の土俵から現れるのではないでしょうか。難行苦行を体験された僧は数多くおりますが、その中で大師のご意志に触れた人は何人いるのでしょうか。このことは、日蓮宗にも同様に感じています。

○ 当方は真言宗には何も縁がありませんが、聖心先生から弘法大師が産み出した幾つかの法を拝聴したことがあり、今でも邪悪な想念一掃に向けて行使させていただいております。弘法大師は日蓮のように魔を操り、魔力を行使することはなく、むしろ魔の方から協力してきたように思います。かつて聖心先生から、この大いなる善魔(金タヌキ)が、近代に至るまで日本を守護しておられたものですが、日露戦争終了から大東亜戦争前に掛けて既に昇天し、日本から消滅していったように聴いております。この結果、日本が大東亜戦争に敗退していった霊的因果関係があるようです。

 なお、日蓮宗が信奉する法華経は最高のものであり、弘法大師も法華経の素晴らしさを否定排除はしておりませんでした。然るに、教義の崇高さとその実践の崇高さとは全く関係はありません。教義が大して崇高ではなくても、実践における心魂が崇高なものであることも多いようです。恰も日蓮宗各派は法華経の崇高さとは裏腹に、その解釈実践においては余りにも教条主義的で排他独善的で狂気盲目の世界に埋没しているようです。日蓮宗の信者に余りにも頑固、頑迷な心魂が形成される背景が教祖の影響にあるように思います。その意味でも、真言宗には宗祖弘法大師の慈愛に満ちた心魂が伝わってくるようです。池口恵観和尚にも弘法大師に似たものを感じることも確かです。

 それらを踏まえた上で、当方はどうしてもその限界を感じてしまうものです。矢張り、宗教各派を統合したような偉大で崇高な改革を期待するのは無理なのかも知れません。もっとも日蓮宗には幻滅を感じるものですが、その法華経の崇高さと真言宗信者の温厚で寛大で慈愛に満ちた心魂とが合体できたら良いものと考えております。仏道各宗を統合し、また神道各派をも統合し、更には仏道と神道とを融合させていくところに、宗教改革の真髄があるものと思っております。矢張り、ご指摘のように功成り名を遂げた方よりも、既存既成の何ものにも囚われない若手の方に期待していくことでしょう。

●貴殿の言われるとおりです。日蓮と空海の一体とは、一言で「無と空」の一体調和、すなわち「零」、有って無きものに通じるものであろうと思います(0=∞)。「無」なき「空」では中心が定まらず、不動の心が定まらないために魔を見抜く事ができません。また「空」なき「無」では、魔を降参させることが出来ません。「零」は、神道でいう造化三神の天之御中主神の世界に通じるものかと思います。

一言、感想を述べさせて頂きました。
 

早速のご返事に感謝します

 投稿者:不動明王  投稿日:2004年 2月 5日(木)22時33分34秒
  拝復
 いつもながら早速ご返事を頂いて、不思議と心が和み暖まるものを感じます。もしかしたら真言宗の御信者の方でしょうか。真言宗の宗祖弘法大師の心魂は日本が産んだ世界的に偉大で崇高なもので、信者の方にも伝わっているものと思います。当方も色んなことで殆ど誰にも相談することもなく、何時も自問自答を繰り返している毎日です。

 真言宗はその教義内容の是非は兎も角、矢張り、宗祖の弘法大師空海の崇高な心魂により、多くの信者達にその精神が知らずの内に伝承されて、信者の多くが皆博識で温厚で誠実さがあるようです。日本が生んだ世界的な偉大な心魂を有した聖者こそ弘法大師であります。ただ、現在行われている護摩焚きの加持祈祷は邪道であり、特に空け石の上を歩くなどは、無理、我慢、苦痛の心魂を逆に醸成しかねません。もっとも、焼け石の上をあるようなことや、滝行や水行にはある程度、苦痛を和らげる秘訣があるようです。

 当方は真言宗には何も縁がありませんが、聖心先生から弘法大師が産み出した幾つかの法を拝聴したことがあり、今でも邪悪な想念一掃に向けて行使させていただいております。弘法大師は日蓮のように魔を操り、魔力を行使することはなく、むしろ魔の方から協力してきたように思います。かつて聖心先生から、この大いなる善魔(金タヌキ)が、近代に至るまで日本を守護しておられたものですが、日露戦争終了から大東亜戦争前に掛けて既に昇天し、日本から消滅していったように聴いております。この結果、日本が大東亜戦争に敗退していった霊的因果関係があるようです。

 なお、日蓮宗が信奉する法華経は最高のものであり、弘法大師も法華経の素晴らしさを否定排除はしておりませんでした。然るに、教義の崇高さとその実践の崇高さとは全く関係はありません。教義が大して崇高ではなくても、実践における心魂が崇高なものであることも多いようです。恰も日蓮宗各派は法華経の崇高さとは裏腹に、その解釈実践においては余りにも教条主義的で排他独善的で狂気盲目の世界に埋没しているようです。日蓮宗の信者に余りにも頑固、頑迷な心魂が形成される背景が教祖の影響にあるように思います。その意味でも、真言宗には宗祖弘法大師の慈愛に満ちた心魂が伝わってくるようです。池口恵観和尚にも弘法大師に似たものを感じることも確かです。

 それらを踏まえた上で、当方はどうしてもその限界を感じてしまうものです。矢張り、宗教各派を統合したような偉大で崇高な改革を期待するのは無理なのかも知れません。もっとも日蓮宗には幻滅を感じるものですが、その法華経の崇高さと真言宗信者の温厚で寛大で慈愛に満ちた心魂とが合体できたら良いものと考えております。仏道各宗を統合し、また神道各派をも統合し、更には仏道と神道とを融合させていくところに、宗教改革の真髄があるものと思っております。矢張り、ご指摘のように功成り名を遂げた方よりも、既存既成の何ものにも囚われない若手の方に期待していくことでしょう。

 他にも感想やご質問がありますがまた後ほど。取り敢えず早速のご返事に対し感謝します。
 

感想を述べさせていただきます

 投稿者:匿名  投稿日:2004年 2月 5日(木)21時43分36秒
   池口氏については、邪念一掃による真言宗各分派の統合帰一に向けたお役目を感じます。世界の宗教改革にむけて取り敢えず神社界や仏教界の各宗分派の連携による神道、仏道回帰への草の根的な担い手が数多く必要でしょう。過去に高野山の奥の院地下に眠る弘法大師の仏前で友の僧と一緒に祈りを奉げたことがあります。神仕組みのために奥の院に眠る御霊達にお働き頂けることを約束させて頂いた事が懐かしく思い出されます。池口氏の動きが本命ならば、いずれ神仕組みにおける宗教改革の渦に組み込まれていくことでしょう。日本から始まる神仕組みの動きは、宗教、宗派を超えたところから静かに始まるはずです。同様に、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教など各々における分派統合に向けた邪念一掃の改革の動きが必要です。過去に各宗教界の幾つかの本山、本殿で代表の皆様とお会いする機会がありましたが、国家、世界の問題を自分の課題とし、宗教、宗派を超えて真剣に取り組んでいる方は、多くありませんでした。今後始まる宗教改革の動きもやはり戒律や型に嵌らない優秀な若者から始まるのではないでしょうか。  

世紀の怪物和尚が救世主か?

 投稿者:不動明王  投稿日:2004年 2月 5日(木)22時03分58秒
   池口恵観と言う真言宗の大阿闍梨がおります。今や世界的な有名人であり、正に怪物和尚と言えるものです。池口恵観氏は鹿児島県で最福寺を経営しており、神奈川県の江ノ島にも別院があるようです。モンゴルの切手にも、モンゴル力士の旭鷲山の人力により日本人で初めて顔が直接図柄になっているようです。また米国の9.11事件の現場や、ロシアの潜水艦沈没現場にも招待されて、世界各国の慰霊祭などに出掛けて供養を実践しているようです。

 噂によれば、ガンを治したり、電線上のスズメを念力で落としたりして、大変な神通力があり、彼に祈祷して貰ったら不思議と仕事や病気、出世などで大いに御利益があって、多くの者がその御利益を求めて殺到しているようです。何でも小泉総理も、総裁選の立候補に際して、500万円ほど積んで、ゴマ炊きの祈祷をして貰ったそうです。著作物にしても、宗教から運勢、医学、歴史、人生観、詩集、歌誌などに関して随分多くあるようです。また15個所もの多くの大学で講師をしているようです。また彼は人相も弘法大師の生まれ変わりのように、健康で明朗で歌も上手く大変な人気のようです。鳩山邦男の息子も彼の下で修行して都議会議員に当選したそうです。最近でも東京都内の某ホテルで開催された会費1万2千円の新年会でも、鳩山悠紀夫氏が登場したそうです。

 一説には彼が日本を救済する救世主のように言うものもいるようです。しかしながら、当方が観察するところ、どうも現世御利益宗教の一種ではないかとも思いますし、肝腎の日本の改革の方向を示しておりません。書いている多くの本にしても、中味は普通の内容であり、単なる俗世間の知識を寄せ集めているだけのように思います。しかも彼の念力というものに、果たして世直しの波及効果があるのが大いに疑問に思います。確かに先祖代々、行者の家系であり、大変な行を積んできたようですし、焼け石の上でも平気で歩くそうですが、これは真仰と言うよりは邪道に近いものではないでしょうか。

 確か以前に某賢人の方が、日本を変革する勢力は、既存の宗教界からは生まれないだろうと言う趣旨のことを言われたのを記憶しております。何よりも、彼は真言宗の世界では、大阿闍梨かも知れませんが、矢張り、救世主と言うからには、単なる一宗教や一宗派を越えた存在でなければならないものと思います。何故なら他宗のものが納得し付いて来ないからです。それに彼は、何処かタレント風なところがあるように思います。万一、聖心先生がおられたら、彼はどのように聖心先生を評価し、また逆に、彼に関して聖心先生はどのように評価されるでしょうか。

 なお、最近、奈良の某有名寺の院主の高僧にお会いしましたが、肝腎の輪廻転生や因果応報の真理に対して、真底より確信してはいず、半信半疑のようです。多くの僧侶や神官などの宗教家は、単なる評論家程度であり、余り、宇宙や生命に、仏道などの真理に関して、真剣に理解し納得し普及させるような熱意も無いように思います。多くの宗教家は外見に相違して、大して真理の伝道者ではないように思います。この点がご指摘されるように、宗教界からは、新しい時代を創造する人物が生まれないと言うことでしょう。

以下は池口恵観氏のプロフイールです。
http://www.saifukuji.or.jp/press-release/ekankao.htm
以下は彼の著作物です
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%92%72%8C%FB%8C%62%8A%CF/list.html
 

神道と仏道に関する詳論を拝見

 投稿者:T.H  投稿日:2004年 1月12日(月)20時35分42秒
  拝復
ホームページ拝見し、参考になるご意見を頂き有り難うございました。
神道と仏道に関する詳論を拝見し、宗教情操に深い関心を寄せられておられることに敬意を表します。
現代が、政界、財界、大衆社会に到るまで宗教音痴の様相を呈していることは、仰せのとうり、全く寒心に堪えません。今後ますますのご活躍を祈願します。早々
 

「かすみ」を知っています

 投稿者:一主婦  投稿日:2004年 1月12日(月)20時22分26秒
  HPに記載されている「かすみ」ですが、地味ですが確実に世直しをしている「かすみ」を知っています。

世直しを実践している「かすみ」は、○県在住の主婦です。
彼女は10年前、人々を救いたい為に「かすみ草」という名の喫茶店を始めました。
私はそのときの相談者の一人です。
三年前、その「かすみ草」を喫茶店としては閉じていましたが、(その間、喫茶店では
会えない、いろいろな人達と会い人々の悩みのなぜ?を土地を通してからも探る日々でした。)
メールを頂いた○月4日は、奇しくも「かすみ草」再スタートの日でした。
町会議員さんたちの会合の場所として使用されました。
いろいろ言葉で説明するのは野暮なことでしょう。
彼女に会うことでそちら様も何かの幕開けになることと思います。
お会いできる日を楽しみにしています。
 

↓2.「感謝の心」とは言うものの、その態様は実に千差万別

 投稿者:不動明王  投稿日:2004年 1月 8日(木)23時29分18秒
   よく過去を反省などと言いますが、決して反省しては健全な精神や心魂は形成できません。殆どの宗教家や有識者は、過去を悔いて懺悔し反省せよと強調しますが、過ぎ去った過去の行動や言説をクヨクヨと善悪に関して反省することは極めて有害であり、発展性がありません。過去を反省するではなくて、過去は「振り返る」ようにするべきでしょう。即ち、過去は忘れ捨て去り振り切り投げ棄てて行くべきでしょう。

 これは個人に限らず、国家の外交にも当て嵌まるものでしょう。即ち、大東亜戦争に対する中韓の執拗な攻撃に対しても、日本は中韓に言われるままに、過去を悔いて「反省する」のではなく、振り返ることで充分であります。過去をとやかく言っても何も還っては来ません。反省の強要は、感謝行とは全く反するもので、互いに親近感を深めるものとは逆行するものであり、むしろ益々怨念や嫉妬や反目を再生させていくだけでしょう。感謝行とは互いに全てを許すことから始まるのです。こうした意識変換をしない限り、日本のみならず、中韓自体にも何ら発展性や将来性もないでしょう。

 ところで、人生とは大海の波間に浮かぶ小舟や木の葉のように、揺れ動き、失望と歓喜の間を彷徨い放浪し漂流しながら、大きな目的に向かって進んでいくものであろうかと思います。心の舵取りをしっかりとして行かねば、人生航路は恰も難破船、漂流船になりやすく、苦悩、懊悩もそこから誕生します。これは換言すれば、魔に潜入されない健全で真正な心、即ち、「真心」に他なりません。多くの人は心の戸締まりや舵取りが実にいい加減であり、隙だらけのようです。宗教界も正しい霊魂観に基づいた正しい心の在り方を提示を出ないようです。これでは益々、狂気の社会を生み出していくことでしょう。

 健全な国家社会の基礎を構築するためにも、当方が提起する「真仰」の国民総決起が求められる所以でもあります。この「真仰」とは大宇宙に対する壮大な感謝行とも言えるものです。しかも「真仰」とは、何も一切の欲望を棄捨して無欲になるあまり、何も努力をしないと言うのではなく、無、空、零の虚心坦懐の捨て身の心魂にて、大自然、大宇宙への感謝、包容、融合一体、そして中庸、中道の心魂でいくことであります。また心魂が絶えず中庸、中道で固定されていることは必要ではなく、右に触れたり左に触れても良く、全体を通してバランス良く、中庸、中道が実現達成できればいいのです。

 多くの仏教研究者は、無の境地を誤解して、ただ座禅を組んでいることで達成されるものと思っておりますが、とんでもない勘違いでしょう。姿形が不動、無私、無我の無ではなく、正に中味の心魂の在り方に他ならないものでしょう。「無我」と「吾」とも、その理念は大きく異なります。無我ではまだ我が存在すると言うことを前提にしております。吾でこそ本物と言えるでしょう。感謝行の目的こそ、吾なる自分の形成に繋がるものでしょう。
 多少、生意気なことを言いましたが、面と向かっては普段は周囲には言えないことですので、ご了解下さい。

 なお、以下のサイトは、既にご存じかも知れませんが、「ありがとうおじさん」を検索した結果です。参考までに掲載します。
http://tekipaki.jp/~gon/park/
http://www.chichi.co.jp/articles/thank%20you.html
http://www12.ocn.ne.jp/~agosu/page060.html
http://www.geocities.co.jp/Beautycare-Venus/7531/page010.html
http://osaka.cool.ne.jp/torihada_minoru/fromossan.htm
http://sfmakoto.infoseek.livedoor.net/q&a.html
http://my.reset.jp/~arigatougozaimas/SI-ak-donnamono.html
http://www.arigatougozaimasu.net/index.html
http://www.arigatougozaimasu.net/letters.html
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/detail/-/books/4884746511/reviews/249-1912114-139553
 

↓1.「感謝の心」とは言うものの、その態様は実に千差万別

 投稿者:不動明王  投稿日:2004年 1月 9日(金)23時39分43秒
   重ねて若干のコメントを追加いたします。
 一口に「感謝の心」が大切とは言うものの、その在り方や態様は実に千差万別でありましょう。単なる言葉では表現できない多様性に富んでおります。正しい心魂が伴ったものだけが、「言霊」となって広大無辺の大宇宙へと到達していくことでしょう。なお、大自然界の輪廻転生界を超越した宙天へは、正に釈尊や聖心仏陀先生が達成されたように、身命を賭して心魂を無、空、零に捨て切った果てに関門が開扉されて入場が許されるものでしょう。一般凡人にはそのようなことは不可能ではありますが、せめてその真似事だけでも実践することにより、心魂が次第に向上して、神仏の守護を会得できるようになるでしょう。

 「ありがとうおじさん」も、生死の奈落の境目を彷徨った体験をされておられるようですね。詳細に観察しない限り、決して解脱されたとは断言できませんが、少なくとも、そこには解脱の入り口に到達したものが見られるようです。解脱から更に悟覚、悟道へと心魂の浄化を図っていくことになろうかと思います。来世における地位は、決してこの世の社会的地位に相当することなく、往々にしてこの社会の地位、出世、財産、学歴などの世俗的地位とは全く無関係であり、むしろ、全く逆の場合であるようです。欲張ったが故に他人を排斥して出世し、他人の恨みを多く買ったと言えるでしょう。

 卑近な例で言えば、豊臣秀吉はあっさりと天下を手放して、周囲から差ほどの恨みを買わずに極楽往生することが出来たでしょうが、最後に熾烈な闘いを経て天下を取った徳川家康は、周囲から相当に恨みを買って、一時は地獄に近いところに転落したようにも思います。差ほどに、自己の心魂の錬磨とは、周囲との軋轢に大きく関係いたします。感謝行も、自己の中で完結するものではなく、周囲の境遇や人間関係で律されていくものでしょう。

 なお、何ものにも囚われない精神的満足に浸った自由自在な心魂こそ感謝行の基本でしょう。同じ満足心といっても、物質的満足と精神的満足があります。多くは物質的満足を優先し追い求め勝ちでありますが、金銭などの物質的満足よりも、安穏で健康な精神的な満足を志向すべきでありましょう。苦しいときには、敢えて流れや空気や逆らうことなく、忍耐強く「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」の達観した精神で対処することでしょう。その内に環境や境遇の方から変化し始めていくことでしょう。それまでじっと待つ忍耐も時には大切かと思います。

 また囚われない心とは、規則、組織、時間などに拘束されずに、自由な環境、心境の元に、健全な心魂を形成し涵養し醸成することが何よりも大切でありましょう。それには不自由、不具合、不都合、不利益などを格別に意識しないことでもあり、見ざる、言わざる、聞かざるの馬鹿なる心魂で対処し、正に、変幻自在、自由自在、緩急自在、天空自在の何ものにも囚われ拘らない心魂の形成が大切でしょう。この囚われないとは、過去や現在や未来のことにも囚われないことでしょう。クヨクヨと過去を悔いて拘ったり、現在を嘆き悲しんだり、将来を儚く絶望することなく、自然の成すがままに行くことでしょう。
 

若干の補足を

 投稿者:丸  十  投稿日:2004年 1月 7日(水)23時35分38秒
  未熟な文章を読んでいただき、早速のコメントありがとう御座います。
幾つかの指摘された御懸念ですがごもっともです。
私もそのHPの中の録音データをダウンロードしたもの聞いたのみでさほど詳しい訳でなく、多分に推測の部分があります。

不動明王様の御推測のように一時期「世界人類が平和でありますように」のグループと接点があったようですが、組織を嫌う「ありがとうおじさん」はすぐに離れたようです。
そして不動明王様の仰るようにこの言葉は、無いモノを「欲しがる気持ち」で欲と見なしてました。
話を聞く限り本当の無欲の人らしいです、勿論名も明かさずに売名行為とは無縁のひとのようです。

私の投稿文の内容が若干浮かれた所があったようですが、けして宗教的熱狂という雰囲気では無いようです。
少人数の集まりで、何だか人生相談的な雰囲気がありますが、答えは卑近な喩えで、俗から、無限宇宙の仕組み迄を分かり易く説明して、けして押しつける訳でなく、各人の自由を尊重し、ひたすら謙虚になることを強調してました。
高揚といった感じではなく、本当は解っていたコトを気づかされるといった感じです。

感謝行の内容ですが、その対象は絶体のカミさまで、勿論顕れである森羅万象に及ぶものでしょう。
「ありがとうございます」を言霊的に解釈して、単なる人に対する感謝の言葉ではなく
実は神名で無限の宇宙の絶対神を表す言葉とのことで、これを唱えることは絶対神と波長を合わせることで、それを「受ける感謝」で、けして「求める感謝」じゃないようです。
これを実践することを「コ神道」と呼んでました、古い神道ではなく、本当の神道と定義づけしてました。まあ、呼び方は色々でしょう。

ざっと聞いた感じでは、素朴で、簡素で、奥が深いといったとこです。
其れだけに表層的に捉えると、単なる現世ご利益だけに堕してしまう危険性も大きです。
懸念されるのは、往々にして熱心な複数の賛同者(俗に云う取り巻き)が、本人を教祖視、したり、生神様にして個人を絶対化し、組織化の方に向かいがちになることです。

こうした目に見えない世界の探求には不動明王様のおっしゃるように魑魅魍魎、ペテン師達の徘徊に充分の注意が必要で、聖なるものを求めているつもりが、とんでもない邪を掴む危険性は否めません、そこで不動明王様のような慧眼の士のご指摘は誠に有難いです。
 

↓2.「吾 唯 足を知る」の満足心こそ感謝行の極意でしょう

 投稿者:不動明王  投稿日:2004年 1月 6日(火)01時09分33秒
   多くの人は感情を高揚、興奮し、露骨にし、喜悦、悲哀などの喜怒哀楽を鮮明にすることが元気、活発であり、人間らしさであるなどと錯覚し誤解しておりますが、心魂奥底からの真の躍動する安楽、安穏なる極楽の境地に想い至ることもないのではないかと思います。拈華微笑の無言の中に最大の満足、無私、無我なる「吾」の、解脱、悟覚、悟道への崇高な心境こそ、何ものにも代え難い尊いものだと言うことを会得、体得、感得して行くことが肝要でしょう。「吾 唯 足を 知る」が大切であると禅宗の世界でも指摘されております。またこれは当方が推奨する「真仰」にも通じるものです。

 ところで、「ありがとう」によく似たものに、「世界が平和でありますように」の語句や看板も世間では氾濫しておりますが、これは現世御利益の一種であり、魔に通じる願望、欲望であります。感謝は願望などの利欲であってはいけません。願望も欲望も言葉は異なっても波動想念的には同じです。正に触らぬ神に祟り無しであり、真摯な自力心とは縁遠いものであり、自らの清浄な心魂を発揮する行為とはほど遠いもので、悪魔に心を売り渡す他力本願に他なりません。自力心の大切さもHP上で指摘し強調しております。

 さて、聖心先生は、心魂を肉体から瞬時に離脱させて、輪廻転生界を超越した宙天に到達させて、再度、肉体内に帰郷させて、釈尊以来、人類未到の大宇宙、宙天を清浄で神聖な心魂にて探検し跳然し、深遠なる真理を把握・把持したものです。その結果、先生の書かれた物には、先生が把持された真の神仏の神聖な宙天の仏界、神界の波動が充満して、既に先生亡き後も、この地球上に残存し、また霊的痕跡も数多く存在し、更には宙天より、心が通じる者には、波動想念が伝搬されており、次第に当HPが広範に浸透し伝搬して行くに連れて、邪悪で猜疑な想念が一掃廃絶され、善良な心魂は益々浄化・向上されて、邪悪魔から大いに守護・加護されていくことでしょう。その結果、多くの人々が知らずの内に、社会の波動想念、潮流、流れが変化していくものでしょう。正に見えざる数千年来の歴史的波動革命と言えるでしょう。

 当HPにおいては、一切の売名や打算、利欲の心魂を極力排除していくのも、正に、宙天の玉座に鎮座される聖心仏陀先生からの波動を、一切の邪悪魔を介在させずに直接に授持していくためであり、また当HPに知らずの内に充満している清浄で神聖な波動を周囲に浸透し伝搬させていくためにも、絶対に不可欠、必須のものと言えるでしょう。宙天からの神聖な波動は、打算や売名、利欲の邪悪魔の波動の前では全て破壊し崩壊して行くものでしょう。それこそ正に、多くの国民が気付かぬ内に深く長く太く潜行し進行するゲリラ戦と言うものでしょう。実に後世の歴史家が解明していくと指摘する所以でもありましょう。

 なお、覚者について述べられておりますが、HP上でも、「学者必ずしも覚者成らず」とも指摘しており、今時の歴史的波動変革による意識革命は、全てが衰退し破綻し崩壊していく過程で、高名な学識者や有識者などが打算、売名、利欲により成り上がった頭や思考、行動、心魂では最早立ち行かなくなり、失脚後退して、主役が大きく交代していくことになるでしょう。それほどの大激動が襲来していくことでしょう。これは世界的規模での共振現象を招来していくことでしょう。現在の状況は、沈没する寸前のタイタニック号を前にして、一部のエンジンが未だ元気に稼働しているとか、浸水がそれほどでもないとか、救援が来るとか(セイフテイネットがあるとか)などと言って、自己満足し安心立命しているようなものです。甲板の直下にまで浸水してきているのに気付かない破滅寸前であると言えるでしょう。正にそこにこそ人類総懺悔を招来する意識変革の神仕組みが働いていくものでしょう。 
 

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